お 祭 り
お祭り大好きなサルデーニャの人々。宗教的なものから収穫祭、村を挙げての文化祭、etc...
ホントに年中どこかでお祭りがあるんですが、代表的なものをご紹介します


17世紀にカリアリ圏で半世紀にも渡り伝染病ペストが大流行し、多くの犠牲者を出したため、守護聖人エフィジオに終息を祈願したところ、年に一度厳粛な式を行うことを約束。その後、ペストは奇跡的に治まり、約束通り聖エフィジオに敬意を払って宗教祭を行うようになったと言われている。

お祭りは5月1日に聖エフィジオ教会から金張りの馬車に乗せられたエフィジオ像を含めた行列がカリアリの中心地を通り、ノラの海岸沿いにある教会まで練り歩くところから始まる。この行列の先は”Traccas”と呼ばれるカラフルな花や織物等で飾り付けされたカリアリ周辺の町の牛車が30~40台。

次に島中から集まった伝統的な民族衣装を着けたグループが祈りの歌を唱えたり歌いながら続く。その後、馬に乗った人達-騎手のグループ、騎兵隊、軍隊、市長が続き、ようやくエフィジオ像を乗せた馬車が信者たちに囲まれて現れる。

カリアリ市内最後はラウネッダス(サルデーニャ独特の3本竹笛)の調べにのって色とりどりのバラの花が撒かれ、さながらバラのじゅうたんのようになったローマ通りになる。

毎年5月最後から2週目の日曜日に行われる唯一、宗教的な意味がないお祭。今から遡ること1711年に市議会がスペインのフィリッポ5世の栄誉を讃えて伝統衣装を着けて馬に乗って練り歩いたのが始まりだと言われている。

サルデーニャを訪れた君主や著名な人達に敬意を払って島民がサッサリの町を練り歩くのが恒例となり幾度も行われて来た。

2と3は漁師町を象徴して魚を持ち、裸足で参加するカブラスの人々。

一般的には1899年にサヴォイアのウンベルト1世とその妻のマルゲリータがサルデーニャを訪れた際に行われたCavalcataからが公式行事とされている。

他の祭り同様島中から伝統衣装を着けた人たちが集まり、町中を練り歩く。8月末の10日間ぐらい続くお祭り。

8月末の10日間ぐらい続くお祭りでもともとは8月29日の早朝、大聖堂から木造のキリスト像をミサのあるオルトベーネ山まで運び、 その後午前中に町を行進、午後からは踊りあり歌あり、のお祭りだった。

近年は大聖堂から木造のキリスト像をミサのあるオルトベーネ山まで運ぶ日と町を行進するパレードの日が分かれて行われている。

他のパレードと違うのは最後に伝統衣装を着けた違う村々の女性たちが手を繋いで何列もに渡って行進するところ。一同にいろんな村の衣装が見られるチャンス。

毎年8月14日に行われるユニークなお祭り。木製の巨大なろうそくをカステッロ広場から聖マリアベツレヘム教会の祭壇下まで運ぶ宗教行列。もともとは昔、聖母マリアにサッサリ人たちがペストの災いから解放されたことを感謝して行われたものだと言われている。

年によって参加する燭台の数は増えたり減ったりすることもあるが10前後の グループが参加し、基となる300Kgもあるかと思われる巨大な木製の燭台に思い思いに飾り付けをしてまずは出発点となるカステッロ広場まで6人ぐらいで身体をリズミカルに踊るように動かしながら運んで行く。

燭台を担いだ男性たちの前を歩くのはそれぞれのグループの代表者のこれまた男性たち、衣装が可愛い。

燭台の飾りはテープで止めてあり、途中でテープを解放して仲間に引っ張ってもらって燭台に巻きつけるパフォーマスを披露するグループも。

8月の終わりから9月のはじめにかけて行われるサン サルバトーレ祭の中のイベント。

9月の第1土曜日の夜明けから始まるレースでカブラスで生まれた男子(またはカブラスの女性と結婚した男子)のみがはだしに白いチュニカと呼ばれる服を着て、カブラスの聖母マリア教会からサン サルバトーレ教会までの約7Kmの道のりを聖人像や供物を担いで走る。続いてあくる日の日曜の夕方には反対の道のりを同様に走る。

起源はムーア人からの襲撃の際に聖人を守るため、若者の一団が聖域まで連れて行ったことを想いおこすようにと始まったレースだとか。はだしで走るのはより多くの砂埃を上げて多くの人数が居るんだと思わせるための戦略だとか。。。

はだしレースの前後には伝統衣装を着けた女性のグループがこれまた裸足でカブラスの教会からサン サルバトーレ教会まで練り歩く。

古い伝統的なお家を開放して、その村独特の伝統的な"食"や"工芸"